母子の絆
2012.03.31 Saturday 22:21
ある家族の話。

医者の父親、看護師の母親、まだ幼稚園に入る前の兄と妹。
父の転勤が多く、引越する事は多かったけど、特に何の変哲もない、普通の家族。

私がその家族と知り合ったのは、9年前だった。


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当時の趣味の集まりに参加していて、その時に何度かお会いした。
その当時は、家族は北関東に住んでいた。

2ヵ月半ほどの間に、4回ほどお会いしただろうか。
いずれも母と兄妹の3人で参加されていて、人見知りしない大人しい兄君、活発な妹さん、そして本当に幸せそうに微笑んでいる母親の姿が、とても印象的だった。
その後また父親の転勤で、東北へ引っ越して行ってしまってからは、お会いする機会もなかったのだけど。

風の噂で、離婚したらしい、と聞いた。
子供達は2人とも、父親に連れられてまた転勤で実家のある九州へ戻り。
母親はそのまま2年前まで東北で、子供達とは一切連絡も取れずに生活していたらしい。

昨年の大震災で、40mもの巨大な津波に呑まれた町から、その1年前に南関東に移り住んだ母親。
それも何かの縁だったのだろうか。
しばらくして私とも再会し、久しぶりの趣味の話に花を咲かせた。

でも、それまでの色々なストレスが祟ってか、彼女の心は病に冒されてしまっていた。
直接的に一番大きなストレスの要因は、職場内での人間関係だったようだけど。
自身の複雑な親子関係や、その他諸々、沢山のストレスに溺れてしまっていた。

いつしか私は、そんな彼女の支えになりたい、と思うようになっていた。


そんなある日。
私の元に一通のメッセージが届いた。
彼女の、息子からだった。
母を探している、と言う内容だった。

原因、理由の如何を問わず、結果的に幼い子供達を捨てた形となってしまった母親の心境と言うものは、私には想像する事しか出来ないが、それはもう強烈な罪悪感であるだろう。
子供達からは恨まれていると考えるのは、極自然な事ではあると思う。

その罪悪感を、私は重々承知はしていたけれど。
それでも、きっといつか子供達は生き別れの母を探すだろう、と確信を持っていた私は、
その時に手掛かりになれば…と、当時の趣味の集まりの様子を、子供達や母親の名前をそのまま、ホームページで公開していた。
それが、実を結んだ形となった。

予想外だったのは… 子供達の年齢だけかな。
メッセージをくれたのは、小学校を卒業する直前の、昨年2月。
私は、早くても高校に入ってからとか、大学生になってからかなって思ってたから。

母親の心の病は、まだまだ思わしくはない状態だったから。
子供達と再び繋がる事は、場合によっては心の病を更に悪化させる可能性もなくはないな、と少しは思ったけど。
でもやはり私は、連絡を貰えてとても嬉しかったし。
話を聞いてみれば、子供達は母親を恨んだりはしておらず、ただ元気にしているのか心配だっただけだと知って、とても安心した。

父親の意向もあって、母と子供達に許されたのは、手紙のやり取りだけだったけど。
今の世の中、直接メールや電話は出来なくても、TwitterやBlogもあったりするし。
少しずつ、母と子の間の失われた7年間は、埋めていく事が出来るようになって行った。


私と息子は、メル友として、その間もちょいちょいやり取りしてたけど(笑)
そんな息子が、最初のメッセージから1年経った先日、『お母さんには内緒で』 と、また私にあらたまったメッセージをくれた。

それは、春休みの計画。
どうにかして、お母さんと会いたい。


まだ中学生の子供。妹の方はこの4月から中学生になる、そんな年齢。
母と子の間にあるのは、1000kmもの距離。
父親の理解なく黙って会うことは不可能だし、可能であったとしても、やはりちゃんと理解して貰うに越した事はない。
1ヶ月近くに渡って行われた父親と子供達との話し合いの結果、子供達は、父親の承諾を取る事に成功した。


私が次にするべきことは…
母親の方の心の準備のお手伝いだ。


母親は、子供達と離れる際、ダンボールに写真を沢山詰めて持って来ていた。
もう2度と会えないだろうと言う辛い想いと、罪悪感からか…
その写真を、押入れの奥深くにしまいこんだまま、ちゃんと見る事すら出来ないでいる事を、私は知っていた。

過去の自分を否定せず、ちゃんと向き合う事。
心の病に対しても、恐らく有効だと思われるし、
何より、会いに来てくれる子供達に対しても、一番のもてなしになるであろう事。

沢山の写真を全部整理して、アルバムにきちんと貼る事。
母親にとっては、辛い部分もあるかもしれないけど。想い出話を沢山して貰いながら、写真の整理を手伝った。

そして、700枚ほどあった写真を、全てアルバムに貼り終えた後。
母親はその事を書いた手紙を子供達に送り。

その手紙が、子供達の手元に到着した日、
私は子供達が会いに来る事を母親に告げた。


翌日、子供達から母親に、電話がかかってきた。
懺悔する母親。元より母を責める気などない子供達は、『産んでくれてありがとう』 と言う言葉を母親に贈った。

それから何度も長い時間電話で、
いよいよ迎える再会の日に想いを馳せ、当日話す事がなくなるんじゃないかと思うくらい、沢山沢山、話をしていた。
離れ離れになっていた8年間を、埋めるように。


そして迎えた、再会の日。

連絡の不備から、ちょっとバタバタはしてしまったりしたけれど。
父親の車で、1000kmも離れた土地から丸2日かけて、会いに来てくれた。
当初の話では、家に一晩泊まってゆっくりして行く… のつもりだったのだけど。
許された時間は僅か7時間半。



台風のような土砂降りの雨の中、再会。
家に招いて… 私は出来るだけ母子の邪魔はしないように、お茶入れたり、
あるは☆印の特製富士宮やきそばを昼食として準備したり程度で後は空気を心掛け(笑)




幸せな時間はあっと言う間に終わってしまう。
予定通り一晩泊まって行ってくれたとして、時間的には何倍もの時間であったとしても…
結局はあっと言う間に過ぎてしまう、幸せな時間。

来た時には台風のような嵐だったけど、送る際にはキレイに晴れて。
富士山は山頂を少し覗かせてくれた程度だったのは、残念だったけど。
それはまた、次の機会に、きっと。

富士山も照れて隠れてしまうほどの、美男美女。
それは単なる富士市のネタだと思っていたのですが…
身内の贔屓目ではなく、他人の私から見ても、よく出来過ぎた子供達でした^^



母親の心の病は、まだまだ治ってはいない。
でも、この再会をきっかけにきっと、より良い方向へ向かうと信じてる。

人生山あり谷あり、良い事もあれば悪い事もある。
これからまた辛い事があっても、次にまた子供達と会える楽しみがあれば、きっと乗り越えられる。
私もずっと、傍にいて支え続けるから、大丈夫に決まってるさ^^

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